芦沢啓治芦沢啓治建築設計事務所

Recommend Tour10

越前のマテリアルをひもとく旅 <前編>

さまざまな背景をもった方に、越前市の風土を感じてもらう旅。今回越前市をめぐるのは、建築、インテリアはもちろん、家具や照明などプロダクトデザインに至るまで領域を越えて才能をいかんなく発揮し続ける建築家の芦沢啓治(あしざわ けいじ)さんです。

芦沢啓治さん
1996年横浜国立大学建築学科卒業。卒業後、建築家としてのキャリアをスタートし、super robotでの数年間にわたる家具制作を経て、2005年芦沢啓治建築設計事務所設立。11年東日本大震災を受け地域社会自立支援型公共空間、石巻工房を創立。14年石巻工房を家具ブランドとして法人化。建築、インテリアだけにとどまらず、カリモク、IKEAなどの家具ブランドとの協業や、Panasonic homesとのパイロット建築プロジェクトなど幅広い分野で活動。

芦沢さんが訪れたのは、越前市の伝統工芸・越前和紙の産地、今立地区。1000年以上の保存にも耐えるといわれているほど丈夫な上、独特の風合いと手触りで世界中から注目されています。越前市の産地を訪れたのは初めてという芦沢さんとともに、近年建材としても注目を集めている越前和紙をはじめとしたこの地のマテリアルをひもといていきます。

岡太神社・大瀧神社 DAY1 Spot_1

越前市今立地区を訪れた建築家・芦沢啓治さんが、最初に足を運んだのは「岡太(おかもと)神社・大瀧神社」。
川沿いに和紙の工房が立ち並ぶこの地域は、越前和紙の聖地ともいえる場所です。

 

風情のある町並みを進むと、緑に包まれるようにして神社が姿を現します。ここは、今からおよそ1500年前、この地を流れる川の上流に美しい姫が現れ、村人に紙漉きの技を教えたという伝説が残る場所です。以来、この姫は「紙祖神・川上御前」として信仰され、大瀧神社に祀られてきました。

 

大瀧神社は、信仰の場であると同時に、建築的にも見応えのある場所として知られています。江戸時代後期に再建された社殿は、全国でも珍しい複雑な構造を持っており、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根は、入母屋造りに千鳥破風と唐破風が重なるという非常に凝った造りになっています。

 

拝殿の正面に施されているのは、精巧な獅子や龍の彫刻。側面や背面には中国の故事にちなんだ彫刻も見られます。高い技術で丁寧に彫られた一つひとつが精緻で、思わず引き込まれます。

 

「神社は好きでよく訪れますが、これほどまでに建築的な技術やデザインが凝縮された神社は珍しいですね」と芦沢さん。
和紙の原点をたどる旅の中で、信仰と建築の美が交差する。この地ならではの魅力が、静かに心に残る訪問となりました。

 

やなせ和紙 DAY1 Spot_2

岡太神社を後にし、次に芦沢さんが訪れたのは、今立地区に工房を構える「やなせ和紙」。無地や模様入りの襖紙(ふすまがみ)を主に漉いています。

 

やなせ和紙のものづくりを支えるのは、「流し漉き」という技法。大人二人がかりで大きな桁(けた)をリズムよく動かしながら、息を合わせて一枚の紙を漉き上げていきます。中でも無地の和紙は、その繊細な美しさが命。漉いた後には、目に見えないほど小さな異物も一つひとつ丁寧に取り除く作業が欠かせません。

 

さらに、やなせ和紙では越前和紙独自の技法「引っ掛け」を用いた紙づくりにも取り組んでいます。「引っ掛け」は、専用の金型に原料を“引っかける”ことで模様を生み出す技法で、戦後にこの地で生まれたものです。この金型も職人が手作業でつくっているといいます。

 

「越前には他の産地で難しいと言われた依頼が越前に来ることも多いんです。その分、さまざまな経験が積み重なって自分たちの糧になっています。うちでも和紙に関する要望は基本的に断りません。」と二代目の柳瀬晴夫さん。

 

現在は、三代目の柳瀬翔さんが家業を支えつつ、新たな可能性を切り開こうと挑戦を続けています。和紙の箱「Harukami」シリーズは、その代表的な取り組みの一つ。柔らかな風合いを保ちながらも、まるでアート作品のような佇まいで、和洋問わず空間に映えるデザインが魅力です。芦沢さんも、レターボックスを一つお買い上げ。

 

「越前は、昔から“まずはやってみよう”という気風がある土地。できるかどうかわからないことにも、とにかく挑戦してきました。うちもそうやって経験を重ねながら、要望に応え続けてきたんです」と晴夫さん。

越前和紙の産地に根づく職人魂と、時代に応じて形を変える柔軟さ。その両方を備えた「やなせ和紙」の姿から、芦沢さんもこの土地のクラフトマンシップを改めて感じ取っているようでした。

 

長田製紙所 DAY1 Spot_3

次に訪れたのは、1909年創業の「長田(おさだ)製紙所」です。もともと無地の襖紙を大量に生産していましたが、住宅の様式が変化するにつれ、ものづくりの方向性も変わっていきました。

「時代とともに、もう少し手の込んだものを手漉きでつくっていこうと考えたのが、私の祖母でした。山や雲の柄など、昔ながらの意匠を手漉きで表現するようになり、それが当社の主流製品へと成長していったのです」と話してくれたのは、和紙職人の長田泉さん。

 

機械抄きでは不可能な、繊細な模様や柔らかなグラデーションの表現は、長田製紙所の大きな強みです。すべてオーダーメイドで、図案の段階から一貫して自社で手がけており、ここにしかない一点ものの和紙ばかり。その技術は、東京・日本橋高島屋のエントランスや、成田空港、インターコンチネンタルホテル大阪の空間演出にも採用され、さらにはフランス・GUERLAINのショーウインドウをも彩ってきました。

見せてもらった和紙の中でも、空に流れる薄い雲のような優しい風合いの「雲肌」和紙は、思わずさわりたくなるような風合い。

さらに泉さんは、和紙づくりだけでなく端材をセット販売したり、アクセサリーへと展開するなど、従来の「紙」の枠にとらわれない柔軟な発想でチャレンジを続けています。「すぐに手を動かして、試せるのは家業ならではの自由さかもしれません」と語るその表情は、とてもいきいきとしていました。

 

芦沢さんも、素材や色合い、模様に触れるたびにインスピレーションが湧いてくるようで、「この和紙なら、あの空間にも合いそうですね」と当主・長田和也さんと話し込む姿が印象的でした。

 

越前の職人たちが積み重ねてきた技と想像力。その一端にふれるたびに、この土地のものづくりの奥深さが垣間見えてきます。

滝製紙所 DAY1 Spot_4

長田製紙所から歩いて数分。芦沢啓治さんは、越前和紙のもうひとつの担い手である「滝製紙所」にも足を運びました。1875年創業の老舗で、手漉きと機械抄きの両方を用いて、大判の和紙づくりを続けています。

 

滝製紙所では、手漉きで襖紙や創作和紙を製作するほか、全国でもここでしかつくられていない縮緬状のしわをもつ高級和紙「檀紙(だんし)」も製造しています。一方で機械漉きでは、鳥の子和紙をはじめ、色物や模様紙、美術用途の小間紙など、用途に応じた多彩な紙づくりを行っています。

 

伝統技術を守りながらも、現代の感性に寄り添った和紙づくり。その代表的な事例が、2014年にオープンした「アマン東京」のロビー空間にあります。天井いっぱいに広がる約1800㎡の吹き抜けを彩るのは、「簾水切り(すだれみずきり)」という越前和紙。なんとこの空間を構成する縦260センチ・幅115センチの和紙400枚すべてを、代表の瀧英晃(たき・ひであき)さんが手漉きで仕上げたといいます。

「漉き終えるまでに、約4か月かかりました」と、瀧さんは当時を振り返りながら笑顔で語ってくださいました。

 

この大規模な仕事をきっかけに、設計事務所や不動産関係からの依頼が増え、建築やインテリアのイメージに合わせて和紙を提案するスタイルが定着していったそうです。やがてその仕事の幅はさらに広がり、2018年にはオランダの現代アーティスト、テオ・ヤンセン氏とのコラボレーションも実現。彼の代表作である“風で動く彫刻”に用いる帆の素材として、風を受けても破れない強靭な和紙を特別に漉き上げました。

「和紙を使ってほしいというよりも、素材として面白がってもらえる存在でありたいんです」と語る瀧さん。

建築やアートの分野で求められるスケールと強度、そして繊細な質感を兼ね備えた滝製紙所の大判和紙。その技術は、今や国内外から注目を集めています。

森六   DAY1 Spot_5

お昼にやってきたのは越前市にある「森六」。
1871年に創業した越前そばの老舗です。

日本全国さまざまな蕎麦がありますが、地元福井で採れた在来種の蕎麦粉を自家製粉した蕎麦は、香りが高く、のどごしが良いのが特徴。

 

つゆに使う削り節や昆布、醤油も複数の種類を組み合わせたもので、蕎麦湯を入れることで美味しさを最後まで堪能できます。

 

芦沢さんもあっという間に完食でした!

五十嵐製紙 DAY1 Spot_6

午後の最初に芦沢啓治さんが訪れたのは、1919年創業の老舗和紙工房「五十嵐製紙」。襖紙や壁紙をはじめとする大判紙から、日常使いの小物まで、幅広い和紙製品を手がけています。とりわけ手漉きの大判創作和紙は、ホテルや飲食店、公共施設、文化施設など、さまざまな空間で採用されてきました。

 

案内してくださったのは、三代目の五十嵐康三(いがらし・こうぞう)さん。工房内では手漉きに加えて、機械抄きの工程も行われており、大型の製紙機から立ち上る湯気と稼働音に、芦沢さんも思わず足を止めて見入っていました。

 

五十嵐製紙の大きな特長は、和紙の可能性を拡張する創造力と技術力にあります。たとえば、著名なアーティストからのオーダーに応じて制作される特注の紙は、和紙とは思えないほど立体的な表現を可能にしています。まるで油絵のような凹凸や陰影をもち、すべてが和紙原料から成り立っているとは信じがたいほど。和紙という枠を超えた三次元的なアートマテリアルとして、国内外で高く評価されています。

 

こうした高い技術力を持ちながら、五十嵐製紙では新たな素材の開発にも意欲的です。近年は、廃棄されるはずの食材を活かした「Food Paper(フードペーパー)」の展開にも力を入れています。

背景には、和紙の主原料である楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)の収穫量が年々減少しているという課題があります。かつては山や野原に自生していたこれらの植物も、現在では入手が難しくなっており、自家栽培を始める工房も出てきているほどです。

 

そんな中で誕生したのが、食材を使った紙づくり。きっかけとなったのは、五十嵐さんのお孫さんが小学校4年生の時に始めた自由研究でした。5年間にわたって身近な食品の残りを原料として紙を漉くという挑戦を行い、その成果が「Food Paper」という形で製品化されたのです。

芦沢さんも、この取り組みに深く感銘を受けている様子で、「和紙には、まだまだ想像を超える可能性があるんですね」と語っていました。

伝統と革新、そして家族の思いが重なり合って育まれている五十嵐製紙のものづくり。その姿勢に、和紙の未来がたしかに広がっていることを実感する時間となりました。

 

栁瀨良三製紙所 DAY1 Spot_7

五十嵐製紙を後にし、再び岡太神社・大瀧神社の参道を歩いていると、見えてきたのが「栁瀨良三製紙所」です。

こちらでは「薄紙楮紙(うすがみこうぞし)」を主力とし、全国各地の和菓子のパッケージなどに使われる美しい和紙を製作。文様や色合いもさまざまで、繊細で華やかな紙の表情に思わず目を奪われます。

 

案内してくださったのは、柳瀬靖博さん。工房の中に入ると、そこでは若い女性の職人さんたちが黙々と紙を漉いていました。

「越前和紙の神様は女性なんです。紙漉きはもともと女性の仕事とされてきた背景があって、今でも女性の職人が多いんですよ」と靖博さんは教えてくださいました。

 

製紙所には、ガレージを改装した直営店「RYOZO」も併設されています。店内には、紙製のインテリア雑貨やステーショナリーなど、和紙の魅力を身近に感じられるアイテムがずらりと並びます。また、紙漉き体験ができるスペースも設けられており、全国各地から訪れる観光客に人気のスポットとなっています。

 

「この前は、なんとプライベートジェットで来られた海外のお客様もいらっしゃいました」と靖博さん。越前和紙への関心の高さが、国内外で着実に広がっていることを感じさせます。

店内では、「金型落水紙(かながたらくすいし)」と呼ばれる装飾和紙の展示も。水を使って繊細な模様を描き出すこの紙は、窓辺に飾ったり、インテリアのアクセントとして使われたりと、暮らしの中に和紙を取り入れるヒントを与えてくれます。

 

ショップと工房はつながっており、希望すれば職人たちの作業風景を間近で見学することも可能です。「見学に来られたお客様が“すごい!”と驚かれる姿を見ると、職人たちにとっても大きな励みになります」と靖博さん。見て、触れて、体験できる場が、職人たちにとっても活力の源になっているようです。

息子の泰吾さんもすでに家業に加わり、新しい世代が動き出しています。「これからもっと和紙の魅力を発信して、ファンを増やしていきたい」と話す靖博さんのまなざしは、とても明るく力強く感じられました。

 

濃密な1日目が終わり、夜は職人のみなさんと意見交換。こちらでもまた熱いディスカッションが繰り広げられました。越前のマテリアルをひもとく旅は明日も続きます。